高校生になると透析をしている、以外は普通の人と変わらない生活をしていて遅まきながら高校生活を楽しみはじめた。透析、というと周りの反応は「人生の終わり」のように気の毒がったけれども、私の場合は透析とともに第二の人生がスタートしたと言っても良い。
クラスの友人は透析している、という話をしても「ふーん」程度の反応だった。私は仲間内で「俺は全国でも数少ない、10代の透析患者だぞ!我はトウセキングだぞ!頭が高いぞ!」などと威張って、取得したばかりの障害者手帳を印籠のようにかざした。私は自虐で笑いを取るという禁断の果実に手を出したのだ。
彼らは過剰に気の毒がることもなく、病気を無視することもなく絶妙な距離感で付き合ってくれ、そのうちに「今日は水曜日だから透析だろ?」とか「ペンレステープ※註1 試させて!」などと言うようになった。
そんな高校生活も2年生の夏休みに入ると周りは受験モードに入っていき、仲間内で図書館やカフェに行って勉強する時間が増えていった。町田のあちこちに勉強するスペースを見つけて、無印のボールペンと落書き帳を抱えて遅くまでシャカシャカと勉強した。高校教諭の両親は外で勉強する事が理解できないらしく「家で勉強しなさい!」と目を逆三角形にしていたけれど、特に気にせず外で勉強していた。今考えると友人たちと勉強して帰りに何か食べたり、ゲーセンに寄ったりするのがやっと手に入れた青春だったのかもしれない。
そして私は4時間の透析の時間を有効活用しようと無謀にも透析中に受験勉強を始めた。透析中に体調を崩す人もいたが、私は割と元気で「透析中に受験勉強なんて苦学生のようではないか!なんか格好いい気がする!」とバカ丸出しの顔で鼻息荒くベッドサイドに参考書を山積みにした。ところが横になって数研の青チャートやZ会の速読英単語などを開いてもさっぱり頭には入って来ず「ここで参考書を開いただけでも合格点だもんね」とよく分からない自己肯定をして、もともと勤勉でもない私はそこそこの勉強をしてそこそこの大学へ進学した。
大学在学中はもうほとんど世間の若者、となって飲んだくれたり、フラれたり、勉強したりしていた。卒業後に腎臓移植の手術をうけると透析からも解放され、本格的に「普通の人」になっていき、入院中に出会った落語を聞くうちに何を勘違いしたのか落語家になってしまった。
ここに来るまで実に色々な病室をふらふらと漂流した。当時出会ったひとたちは不思議と名前も顔も鮮明に思い出せる。ベッドの上で笑ったり、嘆いたり、途方に暮れていた人たちはどこへ行ったんだろうとふと考える。どっかで落語など聞いて元気だといいなあと思う。
註1:透析開始時は毎回、ボールペンの芯くらいあるぶっとい針を刺す。これが結構痛いので、針を刺す前に麻酔のテープを張る。あんまり効かない。
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