ワクチン接種とニッポンのお母さん。

 少し前に新型コロナワクチン(ファイザー)の2回目を接種してきた。様々な治療を経験してきた私は「筋肉注射は痛い!」というイメージを持っていたのだけど、いざやってみると大した事はなかった。今まで経験してきたものを痛みの順に並べてみると

 インフルエンザワクチン(皮下注射)
         ↓
 コロナウイルスワクチン(筋肉注射)
         ↓
        採血

         ↓

        腎生検(腎臓に直接針を刺して組織を取り出す。まぁまぁ痛い)
         ↓
 過去にあった色んなアレやコレ
         ↓
       骨髄穿刺(腰骨に針を刺して骨髄を抜く。死ぬ程痛い)

 の順となる。最後の二つに関してはかなり肉薄してると言っていい。文京区の集団接種会場の一つ、文京シビックセンターまで汗だくになりながら自転車をバタバタ漕いでいく。接種会場になっているのは通常展望ラウンジとして開放されている場所だ。待合の椅子は外の景色が見えるように据えてあるので、地上105mから新宿副都心のビル群や富士山までよく見えた。

 「ワクチン接種てたまんないのよね。もう病みつき!」という人はあまりいないだろう。基本的にはみんなブゼンとした表情で、やや緊張の色も見えつつ待機している。そこで綺麗な景色を見て待ってもらおう、というのはなかなか粋な計らいだと思った。義父のワクチン接種に付き添った時は、天井の低いコンクリート打ちっぱなしの狭い部屋に閉じ込められて「早くここから出してくれえ!」と心の中で叫んでいたのでえらい違いだ。

 接種後の控室は東京ドームを真上から見下ろせるところにあって、ここもなかなか良かった。東京ドームは真上から見下ろすと巨大な雲のようで、あの上で跳ねてみたら楽しいだろうなあ、という小学三年生夏休みの縁側、のようなことを考えていた。

 ふと、控室の壁を見回してみると何かの配管が剥き出しになっていたり壁紙を剥がした跡があったりしてここは何のスペースだったんだろうか、と考えているうちにここはかつて椿山荘のレストランがあった所だ、と気づいてげんなりしてしまった。引っ越して来た時に妻と一緒に住所変更の手続きなどを済ませてから、ローストビーフを食べた思い出の場所だったのだ。コロナの影響なのかわからないけど、思い出の場所が無くなっていくというのは悲しいものだ。

 ワクチンは二度目の方が副反応が強いと言われていて、発熱や倦怠感が強く出る人がいるようだ。高校生物の教科書を紐解いてバラバラにした所、戻すのが大変だったのでインターネットで調べてみた所、免疫反応には二次応答、というのがあって同じ風邪でも二度目にかかったときは「あっこないだ来たやつだぞ!やっちまえ!」と素早く強く反応できるらしい。ワクチンも同じだろう。二度目の接種で発熱する人が多いらしい。私の場合は、注射を打った場所に少し筋肉痛があっただけで特に何もなかった。

 それはそれで少し不安になる。私の体の中の細胞たちが「まぁ適当にね…疲れない程度に働いて定時で帰りましょうよ…」などと妙に小慣れたアルバイトのようでは困るのだ。私は持病がある関係で(詳細については当ブログ内「ベッドで漂流する少年」を参照されたし)ワクチンによってコロナに対する免疫を獲得できたのか確認してもらえる。どうやら治験の一部らしい。それまでは大人しく待機だ。

 帰りに近くのスーパーに寄るとひとりのお母さんが目に着いた。Tシャツの上にエプロンを着て、健康サンダルを突っ掛けて買い物かごを片手に提げている。健康サンダルはかかとの部分が擦り切れてしまっていて、文字通りつま先だけでサンダルをつっかけている。エプロンには油のシミやしょうゆのシミが点在しているけれど不潔、という感じはしなくてこれまでのお母さんの料理の歴史が垣間見える。やや前傾姿勢でピーマンの袋を片手に取り「これはちょっと傷んでるわね」などとと品定めをしている。これを見て何だか「イイ!」と思った。この場合の「イイ!」というのは昼下がりの団地、西陽が差し込む蒸し暑い部屋で紫煙を燻らせつつ

「ねえ、もう行くの?」

「うん」

「また来てね?きっとよ?」

「ああ」

 という関係になりたい!というコトでは決してない。なんだろうねこの感情は。どう表現したらいいのか。風情がある風景、というか情緒的な画、というかエモいというか、いとをかしというか。一人分や二人分では決してない量を買い込むお母さんの向こうには、子供たちや孫たちと大勢で食卓を囲む画が浮かんでくるようだ。なんとなく一昔前のお母さん、のような風情を感じる。

 日本がグングンと経済成長をしていく中で、便利と不便がまだ混在している時代にみんなが人情も忘れずにいた時代のような。昭和62年生まれの私は物心ついたころから不況つづきの世代なのでその時代の空気感はわからないのだけど「男はつらいよ」を見ていると大変だけど楽しそうだなあと少しうらやましくなるのだ。その時代にはきっとこのようなお母さんがそこら中に居たに違いない。

 うーむ、と低くうなりつつスーパーを出てえんま通り商店街にある八百屋さんで自家製の糠漬け、キュウリ一本、カブひとつ、ニンジン一本を買い求める。目の前で桶から出してくれるのだ。それを八百屋のお母さんが目にもとまらぬ速さでクルクルと新聞紙に包み、天井から紐でぶら下げたザルの中から小銭を掴み取ってお勘定をしてれた。またしてもこれは「イイ!」のである。たまりませんね。もうこういうお母さんだけですべてが賄える商店街を作ってくれないかなあと、静かに身悶えするのだ。うーん。おれってちょっと異常なのかなあ。

 



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