文明の力とはNETFLIXである。

 カーテンの隙間から漏れるギンギラの朝日で今朝も7時に目が覚めてしまった。相変わらず仕事もないので、カミさんの弁当を作り、掃除を済ませると早くもやることがなくなってしまい、最近ハマっている冷たいルイボスティ―を片手に居間のソファーによっこらしょう、と腰を下ろした。テレビは朝から晩までどのチャンネルもなにかしらオリンピックの中継をやっている。近頃は日本中がオリンピック一色!といった感じでどのチャンネルを回してもオリンピックから逃れることはできない。

試しにテレビ東京を見てみると、テレ東までオリンピック関連の放送をしているので驚いてしまった。9.11のテロや地震があった際も各局が番組内容を変更して緊急特番を組む中、テレ東だけは頑なに番組編成を変えずにムーミンの再放送などをしていたのだ。そのテレ東までアナウンサーが今朝のギンギラの朝日みたいな笑顔で「オリンピックですよう!すごいですねえ!」などとやっている。オリンピックの自国開催というのは本当に大変なことなのだなあ、と少し呆然としていたらさっき始まったばかりのオリンピック関連の放送が終わってしまった。おや?と思って番組表を見てみると、オリンピック関連の放送は一日のうちにこの10分間のダイジェスト版を放送しておしまい!なのだった。さすがテレ東だ。私は少し安心してコップに残っていたルイボスティーを一気に飲み干した。

 台所に足を向けると、弁当の準備に使ったフライ返しやらボウルやらと、朝ごはんの後の食器が小さな山になっていた。人間といいう生き物は順応性の高い生き物で、その強みを活かして世界中に散らばっていった。何にでも慣れることが一番なのだ。ところがこの洗い物はいつまで経っても慣れない。洗い物がたくさんある環境に順応することができない。毎回新鮮な気持ちで「面倒くさい!」と感じる。きっと遠い昔のご先祖さまも縄で文様をつけた土器を目の前に「こいつ洗うのめんどくせえなあ」と立ち尽くしていたに違いない。

 しかし、近頃の私は洗い物の山を目の前にしても臆することなく立ち向かっていく。笑みすらこぼれている。人類500万年の敵、洗い物をどのようにして手懐けたのか。答えは簡単である。文明の力を借りるのだ。別の言い方をすればNETFLIXの力を借りる。定額で国内外の映画を見放題なんてすばらしい時代だ。台所シンクの横には調味料の棚があってそこにiPadを立てかけて映画を見ながら洗い物をすると、アラ不思議。目の前の食器たちはあっという間に片付くのだ。

 ただ作品のチョイスにはややコツがいる。気になる度100%の映画を選んでしまうと仕事は全く進まなくなってしまう。以前に「インターステラー」を選んだ時には朝食の食器を片付けるのに午前中いっぱいかかってしまった。だからセリフの半分くらいもう覚えちゃったもんね、系の何度見ても面白い映画とか、ずいぶん昔に見た映画だけどどんな映画だったかな?くらいのものがいい。先日朝ご飯の洗い物をしながらみた「パニックルーム」は実によかった。当時高校1年生でつきみ野にあったサティのワーナーマイカルシネマズで観たきりなので16年ぶりだ。あらかたストーリーは記憶していたから洗い物をしながら見るにはちょうど良い。

  しかし、いくらストーリーを記憶していてもいい映画には段々引き込まれていく。すっかり洗い物が済んだタイミングで話が佳境に入ってしまいナマハゲのように「まだ洗うものはねえかー」と探しまわり、テーブルの上に残されたコップなどを見つけて洗ってみるもまだ物足りなくて、シンクを磨いたり、排水溝を掃除したりするので我が家の台所はいつもピカピカだ。それでも続きが気になり、包丁まで研ぎ始める始末だから困ったものだ。いつまでもやってられないので「続きは晩飯を作るときにとっておくか」と仕方なくあきらめる。

ああ、そうだ。本当は映画に出てくる「テレビディナー」の話を書こうと思っていたのだ。テレビディナーとは主にアメリカだと思うのだけど、主菜、副菜、デザートなどがワンプレートの冷凍食品になっているものでちょっと昔の映画を見ているとよく出てくる。このテレビディナーとボックスに入っていてプラスチックのフォークで食べる中華が個人的なあこがれなのだ。その話はまた今度。

 



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